クロスロード・50代で大きく変わった私の人生観。

今の自分って日々の選択肢、過去に何を選んできたかでできた結果であーる。

いきなりの余命宣告。母がステージ4の末期癌と言われて。

2023年10月某日。長らくの検査結果が出た。

主治医から説明があるので、その日は娘さんも同席して欲しい、との事で

仕事を休んで実家へ戻り両親と病院へ。

 

なんやろなー、癌かな~。手術せなあかんのかな。など

心の準備はしていったつもりだった。

そこで主治医から検査の経緯の丁寧な説明があり

「ここから厳しい話になります」

 

「え?」

・・・・

 

一瞬頭が真っ白になった。

母も車いすに乗って聞いていたが、他人事のようにキョトンとしていた。

父も動揺を隠せない様子で思わず口走った。

 


「治療しなければ年を越せないってことですか・・・?」

 

胃癌ステージ4。全身に回っており、胃の切除で治るレベルでない事

このままだと余命は3か月。治療したら余命1年。でもこれは平均値です。

もっと長く生きられる人もいますから。と。

 

しかし治療するには年齢や体力、食べられているか、など、条件があり

お母さんは79歳で迷ってる時間ないです。食べられている今なら

治療できるギリギリのタイミングです、どうしますか?

 

その場でイエスかノーか出さなければならず

父と私は「お願いします!」と抗癌剤治療の選択をした。

 

では、と。

 

2日後の入院説明とその後の説明受けて

いったん帰宅。

 

信じられない。

その1週間前までお友達と居酒屋で楽しく飲んでたり

海外に住む妹が帰国して晩餐楽しんでた位なので。

 

確かに足の痛みはずっとあって。

一人での外出は厳しかった。父が付き添ってた。

骨折してからの後遺症にしては長いよね、と

 

今思えば、癌が悪さしてたのか。

 

とにかく入院。

在宅に向けての抗癌剤治療が始まった。

幸い、面会はできるので父にとっては良かったようだが、81歳。

汚れた着替えを持ち帰り

洗濯してまた持参しての毎日、母と会える喜びはあったと思うが

痛みと闘う母との面会。正直きつかったと思う。

私はいったん和歌山に帰り仕事に戻った。

 

しかしながらこの事きっかけに私は介護休業取得した。

介護職ゆえに、社長の理解得られ休業提案早くて感謝してる。

 

退院日。割と元気そうな表情で笑顔で病院を後にした。

その日の晩餐は鰻丼少々とビール一口飲めて、びっくり!

やっぱ家が一番やね~!と

笑いあったが、その後、壮絶な日々が待ってるとは

この時、想像していなかった。

 

これは末期癌の親を自宅で、と

選択した母自身の想いと父、そして私(長女)の

リアルな体験談です。残しておきたくて。

また同じ境遇の人がいたら、ぜひ力になれたらと。

書き下ろします。