クロスロード・50代で大きく変わった私の人生観。

今の自分って日々の選択肢、過去に何を選んできたかでできた結果であーる。

末期癌の母。退院して一週間経ちました。

はっきり言います。

お父ちゃん一人では今の母のお世話。無理っクス。

もちろん、できる範囲で頑張ってくれてるけど

自分の昼食にはビール飲んで、お母さん不穏になってきたり

排泄で難しくなったら

「ちょっとこれこれの用事あるし上に上がります」

私がしんどい部分を請け負う形に。

 

命預かってる責任感とストレスと疲労が一気に私を襲う。

そして食事は父が考えたできあいの簡単なメニュー。そんなの食べたくないし。

せめて食べるもの位自分で選ばせてよ。

涙が出てくる。お母さんが痛みに苦しむ姿を見ながら排泄ケアしてる

この状況で涙が止まらない。お母さんも泣いている。

「ごめんね・・ごめんね・・」

「私こそごめん・・」そんな事言いながらお母さんの肩を抱き寄せる。

 

父も私に負担かけまいと気遣ってくれてるのはわかるが、ちょっと

ボタンがかけちがってるんだよね。

そういう小さなストレスが敏感になるので

父に嫌気がさす前に、言いにくい事も言っておこう。

 

母の寿命のろうそくが消えかかっていること。

寝起き、排泄すべて軽く「やっといて」というけど

痛みに配慮して何時間もかかる事、私一人ではとても背負えないこと。

最後の看取りまで覚悟決めたけど、壮絶すぎてこちらが壊れる時はごめんなさい

みれない、という事。泣きながら訴えた。

財産をちゃんと解約なり移しておく時期だよ、という事も。

 

やっと現実受け入れたようで少し母との時間向き合うようになってくれた。

 

先日、一週間ぶりに旦那君が私の持ってきてほしいリストに答えて

色々持って来てくれた。

 

でも、日々壮絶な状態を電話で聞いてくれてるので

母に面会するには重すぎたのか、そのまま私を車に乗せて

ランチに。でも顔がひきつってうまく笑えない。

 

疲労している私に彼は「もういいよ、帰ってこい。」とは言わなかった。

「自分でそれを選んだんやし。」「そんなんできるんも今のうちやしな」と

あくまでも選択肢を私に渡してくれてる。

 

ありがとう。

明日は抗がん剤治療のための受診だ。

これを書いてる今も母は隣の部屋で傷みに呻き、ベッドで叫んでいる。

医療麻薬を痛み止めで服用しているのだが

効いてこなくなってきたし

このゾーンに入ると、冷たいようだがしばらくは何をしてもむくわれないため

この痛みが去るまで何もできない、と悟った。

 

最初は傍にいて手を握ったり声かけたり

立ったり座ったりして母に寄り添っていた。

でも、顔は苦痛に歪み、本来の母ではない人格になる。

見えないものが見えたり、急に「何?」と言ったり。

頭がズシンと痛くなって、すごくストレスがかかっているのが

実感できた。

 

大好きな母、そして父。

痛いよう~~~痛いよう~~~

うううう、、と絞り出す声をずっと目の当たりにする現状。

もう決めよう。

 

自分が帰る場所(自分の家。自分の人生。自分の大切な人の所へ)

もう今月いっぱいで、きっと限界値を超える。

 

そんな一日のわずかな時間、息抜きに軽くジョギング。

外の空気をいっぱい吸って。

旦那君と電話で何気ない話をした。

ありがたいな、冬の寒い空気も空の青も。

自然が一瞬で癒してくれた。

今日も一日命をありがとう。