クロスロード・50代で大きく変わった私の人生観。

今の自分って日々の選択肢、過去に何を選んできたかでできた結果であーる。

末期癌の母退院して3日後のカンファ

母が退院して3日後。

従来のケアマネ、福祉用具、デイ、そして新しいご縁でつながった

訪問看護ステーション。

この方々が在宅生活をサポートしてくれるワンチームだ。

しかしながら、デイサービス再開には体力的に至らずいったん終了に。

 

「今は、治療に専念しようね。」

 

母のADLといえば、まだギリギリ少しだけど食事もできるし

車いす使用しつつも手伝えばトイレで排泄も可能だ。

冗談も言える。疼痛が来たら飲むようにと処方された

薬(医療麻薬)一日1包で落ち着いていた。

 

夜もよく寝られた。かえって母との時間が愛おしい位だ。

こんな風に私達姉妹を大きくしてくれたんやね、と

パジャマの着替えからパンツの履き替え、排便の処理。

嫌がる母をなだめたり

褒めたりしながら自尊心を傷つけないように介助する。

 

長年、介護の仕事に携わってきた経験値が最大限活かされる場面だけど

あくまでも。母と娘。

私は介護の職員ではない。

 

「ねぇお母さん。これまで私が離婚して子育てに苦しかった時、

たくさん助けてくれたやん?

そのお礼やねんで。だからここにいるんやで。」

 

手助けされたくない母の、心にやわらかく寄り添う。

時々、涙が出そうになる。いや勝手に涙が出た。「お母さん」と心の声で呼ぶ。

涙をごまかすために他の用事を探した。

 

父は父でちょっと腹立つ位にマイペースだけど、

まだ泣かないように、平常心で

踏ん張っているんだと思う。

 

退院してすぐだけど家の中の色々を整えたりで大変だったな。

母は「宜しくお願いします」と。

控えめに笑顔を作って皆さんに挨拶していた。

 

まず、今何が必要で何が必要でないか。

希望的観測も否定しないけど、やっぱり「今」に向き合って

現実を受け入れる事。

父はあくまでも「希望的観測」で考えていて

「現実」の「今」を受容するのには酷だったと思う。

 

私が覆水でパンパンの体の母のオムツをベッドで介助するのを

もう父に見せてもいいかな、と思うまでに時間はかからなかった。

 

訪問看護の初の訪問時。

酸素値低いのと足先の浮腫ひどくて、もう今からでも病院行った方がいい、

という助言にも

母は頑張り、手足を温めて呼吸整えたら酸素の数値をあげた。

ナースのマッサージで足の血色も少し改善した。

やり方見て、私でもできる。翌日からひざ下のオイルマッサージをして

手先を温めた。

 

そして寝室を移動。その隣に私も寝る事にしたけど

その夜が壮絶すぎて。。

癌末期の疼痛って。。魂から絞りだすようなうめき声と叫び。

痛み止めを夜中に飲ませたり、起きて手を取ったり

お茶飲ませたり、なだめたりするも

その発する声は母から聞いたことない苦痛で壮絶なものだった。

少し寝る時間も、母もあらゆる姿が夢に出てくる。

ベッドをギャッジアップしすぎて九の字になって私を呼ぶ夢や

ハイになって玄関前を掃除しだす母の姿が夢に出てくる。

そのたびに頭が痛くなり、気づけば明け方になっていた。

 

身体の介助は父では難しいので

ほぼ私のワンオペだったので

正直、これはやばいな、自分。て思った。

当事者にならないとわからない現実が私を襲った。

お母さんを守りたい。

でもその前に私が壊れるかも。

 

さて、、、、どうしたもんか。。